ギリギリの日常ブログ

2019年よりブログ開始。日常の様々な情報をインプットし、ブログの場をお借りしてアウトプットしていきたいと思います。元サラリーマン、資格を取って医療職に転職したサラリーマン医療職です!ブログについて日々試行錯誤中。

歴史から学ぶ自分の考えを貫くこと。~濱口雄幸~

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どうも!ギリギリです!

 

皆さん、濱口雄幸をご存じですか?

 

幸」と書いて「おさち」と読みます。

 

「幸」なら「さちお」と読めますが、何でこんな名前になったのでしょうか。

 

実は、もともとは「幸」と命名されていたのです。

 

ではなぜ「幸」になったのか。

 

原因は父親です。

 

父親が役所に出生届を提出しに行く前に、お酒を飲み酩酊状態になってしましました。

 

感のいい人は分かりましたか。

 

そう!

 

書類に幸雄と書かず、雄幸と書いてしまいそのまま受理されてしまったのです。

 

その結果、雄幸という名前になったのです。

 

親父。そりゃないぜ。

 

濱口雄幸

 

彼は27代内閣総理大臣です。

 

安倍首相が98代内閣総理大臣なので、かなり前の総理大臣です。

 

27代となると時代は昭和初期までさかのぼります。

 

彼の実直さ、正義感、頑固さ、見た目から「ライオン宰相」と呼ばれていました。

 

写真がこちら

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出典:近世名士写真 其1
請求記号:427-53

 

なんかオーラありますよね。

 

彼の実直でまっすぐな性格は多くの人望を集めます。

 

しかし、その性格が命を奪われる原因になってしまったのです。

 

 

目次

 

 

 

世間の風潮に流されない強い意志

濱口雄幸が総理大臣になった当時の日本は第一次世界大戦に勝利し、列強の仲間入りを果たしたと浮足立っていました。

 

日本は更なる軍拡の為に、大量の予算を軍に投資しようとしていました。

 

しかし日本の国力では列強の米国、英国には到底かなわないということを彼は理解していました。

 

そこで、世間の流れとは真逆の軍縮を行ったのです。

 

軍縮したら、当然軍部は黙っちゃいません。

 

当時の日本は帝国海軍、陸軍が非常に強い力を持っており、軍の意見と対立することは命を捨てるぐらいの覚悟が必要なことでした。

 

彼はこう発言しています。

 

仮令玉砕するとも男子の本懐ならずや。

 

分かりやすく訳すと

 

すでに命をなげだす覚悟だから、何か起こって死ぬようなことがあっても、男子として本望だ。

 

まさに男気です。

 

かっこいいですね。

 

惚れてまうやろ~。

 

自分の命が危険にさらされると分かっていても、信念を曲げない彼の姿は多くの支持を得ました。

 

人の意見に流され自分を見失ってしまう人に支持は集まらない。

 

既に歴史が証明してくれています。

 

 

頑固なゆえの失敗

彼の実直で、真っ直ぐで、頑固な性格は、国民の支持を集めました。

 

しかし、それは良い結果が出ている時の話。

 

彼が行った経済政策はデフレを加速させ、さらに世界恐慌が発生したことにより日本経済は一気に低迷します。

 

当然、世間からはバッシングを浴びます。

 

ここで、違う政策を打ち出せたなら違う結果になっていたのかもしれません。

 

しかし、時すでに遅し。

 

濱口雄幸は東京駅で右翼団体の社員に銃で撃たれ重傷を負います。

 

当時、東京駅では暗殺事件が発生しており、首相の乗降時は一般人の立ち入りを制限していました。

 

しかし、彼の一般人には迷惑をかけられないという意向により、警備が手薄になっていたのです。

 

国民の事を思って行ったことが仇となり、命を狙われる。

 

皮肉なものです。

 

奇跡的にも一命をとりとめるのですが、この大けが原因で感染症を発症し、濱口雄幸は1年後に亡くなります。

 

享年62歳。

 

自分の正義を貫き通したことで反感を生み、命を落とす結果になってしまったのです。

 

正義は人によって違います。

 

その人にとっては正義でも他人にしてみたら悪になる。

 

責任が大きい立場の人ほど、自分の正義を貫くには相当な覚悟が必要なのかもしれませんね。

 

覚悟がないならば、人の意見を受け入れた方が自分の身は守れるのかもしれません。

 

会社にイエスマンが増えるわけですね。

 

最後に

名前のエピソードからは想像もつかないくらいの人格者だった濱口雄幸

 

彼のすごいところは、命を惜しまず大きな権力を持つ軍部に正面から勝負を仕掛けて行ったところです。

 

当時の日本軍に逆らうことは、タブーな時代でした。

 

また、インターネットもない時代に世界の流れを冷静に分析し、日本の限界を把握していた彼はこの時代では稀有な存在だったのではないでしょうか。

 

もし、彼が死なず軍縮を進めていたら日本はどうなっていたのでしょうか。

 

歴史にもしもはありませんが、そんなことを想像せずにはいられないのです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

それではまた!